もうすこしで作曲を完成させなくては
いけません。
がんばります。
1990年2月11日。
僕は小学4年生だったと思うが、
どこで何をしていたか、その日だけは
鮮明に覚えている。
地元の下街のスポーツセンターで
紙ヒコーキ大会の区大会に出場していた。
型通りに画用紙を切っていき、のりで
貼り付け、紙ヒコーキを飛ばし、ストップ
ウォッチで計り、何秒間空中に浮いていら
れるか床に落ちるまでのタイムを競う
大会で、僕は僕の小学校の体育館で行われた
予選を通過し、区大会に出場した。
しかし、その日を覚えていた理由は
別にある。
大会中に、ラジオを聴いていた近所の
おじさんが、
タイソンが負けたぞ。
と叫んだのだ。
僕ら小学生たちは皆おじさんの
ラジオの前に集まっていた。
ウソだ。
本当だ。
マイクタイソン。
当時のヘビー級の統一世界チャンピオンで、
大人から子供まで誰もが知る最強の
伝説的なチャンピオンだった。
一度も負けたことがなく、
その日、ダグラスという選手にはじめて
負けた。
僕らは皆驚いて、ラジオを聴きいった。
紙ヒコーキ区大会は、たしか8秒程の
記録で入賞し、横浜文化体育館で行われる横浜
市大会への出場が決まった。
僕は紙ヒコーキの製作用画用紙を
たくさんもらい、紙ヒコーキをつくり
まくった。
父と近くの米軍基地の広い野原で
試飛行させた。
風にうまく乗ったのか、20秒程の記録が
でて、これなら市大会で優勝できる
と興奮したが、父は風がうまく吹いている
からだと言った。
喜んで何度も飛ばしていたら、
その紙ヒコーキは壊れてしまった。
市大会当日は区大会と同じく記録は8秒くらい
だったが、市大会はレベルが高く、入賞
出来なかった。
優勝タイムは18秒くらいで、
米軍基地で僕が飛ばした方が
飛んでいたと僕はみんなに報告した。
昼飯はシウマイ弁当をみんなで食べた。
紙ヒコーキをまたいつか広い野原で
飛ばしたい。
今度は20秒以上飛ばしたい。